縁起ごと

時々表札に名を彫のは、墓をイメージさせるので縁起が悪いと聞きますが、墓穴を掘るは「彫る」ではなく「掘る」です。

また、表札は凹彫りは墓をイメージさせるで凸彫りと聞きますが、

近代国家になる前の江戸時代は一般的に今イメージするような墓はありませんでした。

一般的には共同墓地に土葬し木製・石などを墓標にしていました。

また、お寺などで石塔を建て戒名を刻み供養をしていました。(参り墓) 

火葬もありましたが少数だったようです。大正前に今のような「家」のお墓になったようです。

 

表札は明治の名字・姓を名乗ることを義務かした平民苗字必称義務令や郵便制度が整って間もなく大正ごろから一般に普及してきます。

表札を玄関や門柱に掲げるのは他国では一般的ではないようです。平和な日本だからこそでしょう

それ以前の江戸時代は苗字帯刀を許されているもの以外は公に苗字は名乗れませんでした。家を表すのは家紋・屋号でした。

江戸時代の初期の民家の屋根は板葺や草葺で瓦葺きを禁止していましが、人口が急増した江戸では、度重なる火災で多くの被害でます。

目安箱に瓦葺きの許可を願う声があり、8代将軍吉宗の治世、1720年に瓦葺き禁止令を廃止し逆に奨励していきます。それから民家でも屋根瓦に家紋・屋号を施すようになっていきます。

発掘調査でも分かるのですが割れても燃えない瓦、陶器は長い歴史の事実を後世に伝えています。

余談ですが喪服の色も時代によって白から黒、黒から白と江戸時代は白喪服が一般的で明治から黒の喪服になりました。縁起担ぎはその時代でかわります。 

 

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